カルメル修道会(カルメル山の聖なるおとめマリアの兄弟会)は、13世紀初めに無名の西欧人のローマ・カトリック教徒たちによって誕生し、名前はパレスティナにあるカルメル山に由来しています。当時のエルサレムの総大司教、聖アルベルトから会則を与えられ、旧約の偉大な預言者聖エリヤの精神に倣い、聖母マリアを自分たちの保護者、また母として仰ぎ、隠遁生活を始めました。
隠修士は、各自にあてがわれた洞穴か小さな修房に別々に住み、毎朝一同が小聖堂に集まって、ミサを挙行し、日中はそれぞれが何かの労働に励み、神のみ言葉を黙想しながら、絶えず祈りのうちに目覚め、神のみ前で熱心に修道生活を営んでいました。
会は次第に発展してゆきますが、その後の歴史的な情勢によって、会員はパレスティナ地域を離れて西ヨーロッパへ移り住んでゆくことになります。
西ヨーロッパに移り住んでいったカルメル会士たちは、南フランス・シチリア・イタリア・イギリスなど多くの場所で生活を始め、時代の趨勢に合わせて会則を改定し、托鉢修道会として歩み出し、13世紀以降、急速に成長を遂げてゆくこととなります。
15世紀に入ると半在俗半修道の女性の会が男子カルメル会によって指導され、女子カルメルが誕生。ほぼ同時代にカルメル在世会(当時「第三会」)も誕生して多くの地に広がってゆきました。
16世紀になると聖アルベルトから受けた会則(原始会則)の精神に戻り、修道生活を営もうとする動きが会内に生まれ、イエスの聖テレジアとその良き協力者、十字架の聖ヨハネにより進められてゆくことになります。
その後、改革されたカルメル会は従来のカルメル会から分かれ、新たに跣足カルメル会として歩み出しました。 日本のカルメル会(男子・女子・在世会)は、みなこの 改革された跣足カルメル会に属しています。
カルメル会の中では、 多くの聖人や福者が 生まれ、改革の会の 創始者、イエスの聖 テレジア(アヴィラ)、 十字架の聖ヨハネ、近現代に生きた、幼きイエスの聖テレジア、十字架の聖テレジア・ベネディクタ(エディット・シュタイン)、ロス・アンデスの聖テレサ、福者三位一体のエリザベットが良く知られています。
聖人や福者の生き方、著作、日記や手紙、詩、写真などを通し、その足跡を辿りながら、私たち一人一人も聖性へと歩んでゆくように招かれています。
跣足カルメル会は、2015年3月28日にアヴィラのイエスの聖テレジアの生誕500周年を迎え、新たな時代へと歩みを進め、新たな時を 刻んでいこうとしています。
日本の男子カルメル会は、中国大陸に宣教のために派遣されていたイタリアの管区のカルメル会士で構成された宣教師達が、大陸を追われ、1951年に来日したのが始まりです。
その翌年、ミラノ管区のカルメル会士たちが、日本に 修道生活を伝えるため来日。東京そして京都に修道院を創立して、日本での生活を送り始めました。これら2つのグループは1978年に1つにまとまって 現在は日本総長代理区として歩みを進めており、東京・名古屋・京都・石川地区で活躍しています。
2014年夏、インドネシアから2人の若い宣教師が来日し、日本人、イタリア人とともに、新たな歩みを始め、今後の活躍、会の発展が期待されています。今、神の呼びかけに応えようとする方を待っています。